ファイナル・最終戦
男子総合&スーパーG種目別優勝 ヘルマン・マイヤー(オーストリア)
ハーミネーターの真実
| 滑ること自体が楽しい。 |
| これほど早い王座復帰は想像もしていなかった |
スーパーG最終戦で優勝し、さらに今シーズンのスーパーG種目別優勝も果たしたヘルマン・マイヤーは、表彰台の上でクリスタル・トロフィーを受け取ったときの気持ちについて、次のように語った。
「オーストリアの国旗が揚がり、国歌が流れるのを聞いたときには、さすがにぐっときた。さまざまな感情が一気に込み上げた。最初に思い出したのは、前回総合優勝したときのこと。そう、2001年のシーズンだ。そして、その年の夏の終わりのオートバイ事故。その後の苦しいリハビリとトレーニングの日々のことも、もちろん思い出した。とにかくいろいろなことが、次々と脳裏に浮かんでは消えていった」。
涙こそ見せなかったが、表彰台の上の彼は、さまざまな感情を受け止めるのに精一杯で、その表情は、少しこわばっているようにも思えた。あらゆるタイトルを取り尽くし、ワールドカップでの通算勝利数は歴代3位の47。そんな彼にとっても、このクリスタルトロフィーは、格別の意味を持っていたのである。選手生命の危機に直面した2001年8月の交通事故から約2年半。昨シーズンの一時的な戦線復帰を経て、ヘルマン・マイヤーは、ついにワールドカップの頂点に復帰した。
見せつけた別格の強さ
それにしても、この日のヘルマンの滑りはみごとだった。すべての勝利は、等しく尊いものなのだろうが、見るものに与える印象という点において、圧倒的な存在感を持つ勝利であった。今シーズンのワールドカップのなかでは、キッツビューエルのダウンヒルで勝ったシュテファン・エベルハルター
(オーストリア) の滑りと双璧をなすものであり、ともに高速系種目における現代スキー技術の到達点を示す滑りだったと言えるだろう。全長2436m、標高差550mの硬く氷結したコースを、たったひとつのミスもなく、彼はパーフェクトに滑りきった。前半はオープンゲレンデのダウンヒル的なセッティング。中間付近で樹林帯に入ってからは、比較的細かなターンが続く。ゴールに近づくにつれ、旗門はトリッキーなものになり、最終ジャンプは、わずかに方向を誤っただけで、コースアウトに直結する実に意地の悪いものだった。加えて、3月に入ってからのヨーロッパは寒さがぶり返しており、コースは極端に硬くなっていた。この日、スタート地点の気温はマイナス14度。ダウンヒル、スーパーGに関して言えば、今季もっともハードなアイスバーンだったのだ。このむずかしい雪とコースに手こずり、多くの選手が満足な滑りをすることができなかった。しかし、ひとりヘルマン・マイヤーだけは、別格だった。
「今日は、最高の滑りができた。ケガからカムバックして以来、おそらくもっとも出来の良いレースだったと思う。スタート直後はリズムをつかむのに苦労したが、すぐに問題は解決した。スキー板にしっかりプレッシャーが伝わっているのを感じられたので、この時点ですべてがうまくいき始めた。後半はラインの選択がむずかしいセッティングだったが、思い通りのラインを滑ることができた」。それまでトップに立っていたエベルハルターに0秒63というはっきりとしたタイム差をつけて優勝。エベルハルターは、ヘルマンがベストタイムでゴールしたのを見て、呆れたような表情で首を振った。彼自身ほぼ満足のいく滑りだったのに、ヘルマンがさらにその上をいったので、もはや脱帽するしかなかったのである。
結果的には、この勝利が今シーズンの総合優勝も引き寄せたと言ってよいだろう。2日後、GS最終戦が、悪天候のために中止となり、その時点でヘルマン・マイヤーにとって通算4回目の総合優勝が事実上確定した。総合優勝の大クリスタルトロフィーを激しく争っていたベンジャミン・ライヒ
(オーストリア) とボディ・ミラー (アメリカ) は、たとえ最後のスラロームで優勝しても、合計得点でヘルマンに届かないことになった。一方、ヘルマンとエベルハルターとの間には43点の得点差があった。ヘルマンはスラロームに出場しないので、仮にエベルハルターがスラロームで5位以内に入れば、計算上、逆転優勝は可能である。だが、現実問題としてそんなことは考えられなかった。エベルハルターはスラロームをもっとも苦手とし、ワールドカップでの入賞は、13年前の7位という記録があるだけだったからだ。事実関係を厳密に記せば、エベルハルターが、スラローム最終戦へのエントリーを断念したこの日の夕方、ヘルマン・マイヤーの総合優勝が決定した。
2006年への意欲
ところで、シーズン前、ヘルマン・マイヤーの総合優勝を予想した人が、はたしてどれだけいただろうか? 願望として彼の王座復帰を思い描いたとしても、実際に彼が3シーズンぶりの大クリスタルトロフィーを手にしようとは、おそらく誰も思わなかったに違いない。そもそも当のヘルマン自身が、これほどの活躍をまったく予想していなかった。彼はシーズンの開幕時点での自分の状態について、こう語っている。
「 (事故で重症を負った)右足には大きな不安がある。だから、どうやったら1シーズンを無事に乗り切れるかというのが、最大の課題だ」。秋の段階では、膝の状態が優れず、ゾルデンの開幕戦を欠場するかもしれない、という情報さえ流れたほどである。
だが、いざワールドカップが始まると、ヘルマンの滑りは、周囲の期待をはるかに上まわるレベルだった。11月末からの北米シリーズで早くも優勝を記録し、その後ヨーロッパに戻ってからも勢いは衰えなかった。膝にもっとも大きな負荷のかかるGSこそ、好調時の鋭さを感じることはできなかったが、ダウンヒル、スーパーGの高速系種目では完全にトップフォームに戻った。彼自身は、いつ頃から総合優勝を意識したかはっきりとは覚えていないというが、遅くとも2月の半ば、サンアントンのダウンヒルで優勝したときには、総合優勝も視野に入っていたはずである。
開幕前には、ワールドカップのスケジュールを無事にこなせるかどうかにさえ不安を抱いていたにもかかわらず、彼の滑りは、最後までパワーダウンすることがなかった。それどころか、シーズンが深まるにつれて、滑りはどんどん良くなっていった。実戦を重ねることによって、勝負に対する勘を取り戻し、さらにそれを磨き上げていったからである。スラローム以外の3種目に出場するヘルマンのスケジュールはかなりタイトなものだったが、体力面での問題はほとんどなかった。驚いたことに、この頃のヘルマンは、レースが続くことよりも、むしろレースの間隔が空くことのほうが嫌だったという。レースに対する高いモティベーションを保っているときのヘルマンが、いかに超人的なパワーを発揮するかに驚かされる。
昨シーズン、一時的にレースに戻ってきたとき、すでに多くの人々が感じていたように、ケガとその後に続いた長く苦しいリハビリの期間を経て、ヘルマンは、その印象が大きく変化した。とんがっていた性格から角がとれ、人当たりはとても優しくなった。レース中は別として、目つきさえもが、かつてと比べて柔らかくなったように思う。ヘルマン自身は、これについて
「自分の人間性がそれほど変わったとは思わない。しかし、ケガで休んでいたときに、人間としてのあり方について、いろいろなことを考えたのは事実だ。レースは自分ひとりでやっているわけではない、ということは強く実感した」
と言っている。
こうした変化は、レースに対する取り組み方にも影響を与えた。
「今はスキーをすること自体がとても楽しい。勝ったとか負けたとかいう以前に、滑ることが楽しいんだ。だからリラックスしてレースに臨めるし、プレッシャーもあまり感じていない。ひどいレースをしたときには、もちろん自分に対して腹を立てるけれども、前よりもスキーをエンジョイできるようになった。僕の印象が変わったとすれば、たぶん、そういうことが原因なんだと思う」
と説明する。
彼が言うように、今季のヘルマンにはかつてのような周囲からの過度なプレッシャーがかかることはなかった。優勝して当たり前という本命としてではなく、挑戦者のひとりとしてレースを戦うことできたのだ。そしてこれは、彼にとって久しく忘れていた新鮮な感覚だった。だからこそ、純粋にレースを楽しむことができたのだろう。"スキーが楽しい。"これは今季の彼の口から何度となく聞かれた言葉である。ヘルマンは、シーズン終了後、ヘリスキーを楽しむためにカナダに行き、パウダー8にも出場する予定だという。
「赤と青のゲートがないところを滑るのも、ときには楽しいものだ。自然との一体感を感じると、特別な気持ちになるからね」。こうした気持ちの余裕が、今季の彼の強さの原動力となっていると思われる。
アルペンスキー・ワールドカップの創設者として知られる故セルジュ・ラングの息子で、今のワールドカップにもっとも深く関わるジャーナリストのひとりであるパトリック・ラングは、こうしたヘルマンの変貌ぶりを次のように興味深く分析する。
「ケガから復帰した後のヘルマンは、明らかに人間が変わった。映画『ターミネーター』をもじってつけられた "ハーミネーター" というニックネームは、無敵の強さを誇っていた頃の彼には、とてもふさわしいものだった。つまり、無慈悲で無敵のスキーマシンという意味だ。しかし、今のヘルマンは違う。スキーに関しては以前の強さが戻ってきたけれど、もっと人間くさくて、優しい。だから個人的には、もう
"ハーミネーター" という呼び名はふさわしくないんじゃないかと思う」。
また、かつてアメリカ女子チームの中心選手として活躍し、現在はTVレポーターを務めているパム・フレッチャーは、総合優勝の表彰式の後、ヘルマンにこう質問した。
「誰もが 『ヘルマンが戻ってきた』 と言っているけれど、あのヘルマンがカムバックしたのでしょうか、それとも生まれ変わった新しいヘルマンがやって来たのでしょうか?」。
これに対するヘルマンの答は、
「僕の前には新しい未来が開けているし、その未来に期待している。今シーズンは僕にとってすばらしいシーズンだった。良い結果を残せたその余韻を楽しみたいと思っている」。ゴールエリアでのあわただしいやりとりだったせいか、少しポイントがずれてしまっているが、おそらく彼が言いたかったのは、過去のことはあまり考えずに、未来を見つめて進んでいくということだったのだろう。
いずれにしても、彼は変わり、新たな魅力をつけ加えてわれわれの前に現われた。ファンにとって、今やヘルマン・マイヤーはボディ・ミラーとともに、もっとも気軽にサインをねだることのできるトップレーサーなのである。
彼は1972年生まれの31歳。スキーに限らず、アスリートとしての寿命は年々延びているとは言うものの、そろそろ引退のことも取りざたされる年齢である。彼自身、この先、ワールドカップにそれほど長い間いるわけではないだろうと言っている。しかし、その一方では、2006年のトリノオリンピックに向けて強い意欲のあることも表明している。
「僕は、交通事故のために2年近くを無駄にしてしまった。病院のベッドにいるときには、自分の人生の中で、もう2度とオリンピックに出ることもないと考えたことがあるのも事実だ。だけど、僕はまだオリンピックは長野大会しか経験していないので、もう1度出てみたいと、今は強く思っている。今シーズンの成績によって、また自信も戻ってきたし、これまでの2年のことを考えれば、トリノまでの2年間など、たいしたことではない」。 幸いなことに、われわれは、少なくともあと2シーズン、ヘルマン・マイヤーの滑りを見ることができるようである。