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序盤戦イタリアシリーズ 〔SJ MONTHLY WATCH 9〕 皆川賢太郎
小さな収穫
徹底してアタックするかつての姿が一瞬見えた
ケガの回復が遅れ、スラローム第1戦をスキップした皆川賢太郎は、マドンナ・ディ・カンピリオからワールドカップに復帰した。だが初戦は41位、次のフラッハウでは途中棄権と、思うような結果が出ていない。
99年のキッツビューエルで6位に入り脚光を浴び、翌年はサンアントン世界選手権で10位。この直後の志賀高原大会では、たった1レースだけだが第1シードに入り、彼はトップスラローマーとして、さらに飛躍する足がかりをつかんだはずであった。
しかし、彼の歯車が正方向にまわっていたのもこの頃までで、以降の皆川にはつねに、不幸と不運がつきまとった。昨年秋に足首をケガ。その湿布が皮膚を侵しシーズン序盤で調子を崩す。さらに春には靭帯を負傷。次々と襲うアクシデントに、皆川のランキングは下がる一方だった。ケガをなだめすかし、コンディションの悪さは、気持ちで補うという状態で戦うのには、やはり限界がある。無理に無理を重ねることでさらに調子を崩してしまう負の連鎖が、やがて彼から立ち直りのきっかけを奪っていった。昨シーズンは、クラニスカ・ゴラとヨンピョンで、それぞれ28位、20位とふたつの成績を残しただけ。コンディションを考えれば、意地を見せたと評価できる成績ではあるが、もちろん本人は納得していないだろう。
03/04シーズンに向けた夏のトレーニングでは、久しぶりに好調が伝えられた。その矢先、膝の状態が悪化し、ペースダウンを余儀なくされた。疲れがたまると膝が腫れる。決定的な痛みではないが、それをかばって滑ると他の部位に無理がかかるので、練習量を減らさざるを得ないのだ。強い闘争心と技術に対する旺盛な探究心とで第1シードに上がった皆川だけに、現在の状態は、歯がゆくて歯がゆくて仕方がないだろう。
「行ける、まだまだ絶対に行けるはずだ」。マドンナ・ディ・カンピリオのゴールで、そう自分を鼓舞するようにつぶやく姿が、彼の苦しい戦いを象徴していた。
1月初めのヨーロッパカップ。皆川は36番というスタート順ながら、1本目8位となった。コースは荒れ、急斜面にはいたるところに穴が開いたようなコンディションだったが、彼は最後まで攻めた。トップとは1秒半の差で、キリアン・アルブレヒト、トム・スチャンセンといった第1シード選手とほとんど変わらないタイムだった。さらに上位をねらった2本目、ゴール前で転倒。またしても結果は出なかったが、1本目の滑りには、徹底してアタックするかつての彼の姿が感じられた。収穫はごくわずかかもしれない。だが、ここから始めなければ、未来はない。稀代のファイター、皆川賢太郎の復活を焦らずに待ちたい。
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