SKI CHANNEL HEADER
SKI CHANNEL
02-03 Alpine W-CUP 取材レポート
 ≪TOPに戻る
【2004年SJ2月号】
アメリカズ・オープニング 「白いサーカス、北米に上陸」
男子GS第2戦
男子SL第1戦
〔SJマンスリーウォッチ 2〕
佐々木明
〔SJマンスリーウォッチ 3〕
ボディ・ミラー
〔コラム 1〕
「スラローマーたちのGS」
〔コラム 2〕
「R・シェーンフェルダーの再レース騒動」

 他のレポートはこちらから
2004年SJ1月号
2004年SJ3月号
2004年SJ4月号
2004年SJ5月号
2004年SJ6月号

アメリカズ・オープニング
〔SJ MONTHLY WATCH 3〕 ボディ・ミラー

開幕2連勝。
その圧倒的強さが意味するもの

 ボディ・ミラーにとって、パークシティは特別な思い出のあるコースである。1997年11月20日、彼はここでワールドカップ・デビューを果たしているからだ。このときの彼は、初めて出場する大舞台でもまったく萎縮することなくのびのびと戦い、ジャイアント・スラロームで11位。デビュー戦でいきなり入賞という快挙を達成した。翌年には同じくGSで8位となり、さらにその翌年にも10位を記録。そして忘れてはならないのがソルトレイク五輪。地元のファンの熱狂的な声援を受けてパークシティのGSコースを快走したボディは、みごと銀メダルを手にしたのである。

 しかし、スラロームでは、一転して呪われたコースとなる。彼はこれまでにパークシティのスラロームに4回出場しているが、転倒、旗門不通過、予選落ちなどで、4回とも1本目で姿を消している。そして、今シーズンは、GS2連勝の後を受けたレースで期待されたが、やはり1本目で途中棄権してしまった。
「このコースでは、最高の出来事と、最低の出来事が交互に起きるんだ」
 スラロームのレース後、彼は半分嘆きながらこう語っている。
 さて、話をGSに戻そう。ゾルデンで行なわれた今季開幕戦で圧勝したことで、彼はこの第2戦でも優勝候補の筆頭に挙げられていた。開催国のエースとしては当然のことだろう。もちろん彼自身のモティベーションも高まっていた。レース2日前に行なわれたUSチームの記者会見で、彼はこう語っている。
「パークシティのプロモーションのため、そしてアメリカのアルペンスキーのプロモーションのためにも、ぜひとも優勝したい」。

 だが、アメリカの男子選手は、どういうわけか長いことアメリカのレースで勝つことができなかった。アメリカのレースにおけるアメリカ男子選手の最後の優勝は、1984年にアスペンのダウンヒルで記録されたビル・ジョンソンの勝利にまで遡らなければならなかった。それ以前には、たとえばフィルとスティーブのメイヤー兄弟がふたり合わせて6回もアメリカで勝利を記録しているし、女子も、散発的ではあるが90年代に何人か優勝者が誕生している。しかし、男子はビル・ジョンソン以降、誰ひとり地元で優勝することができず、それがチームにとっての重苦しいジンクスにさえなっていた。ボディはそんなジンクスを破る役目も負わされることになった。彼自身、そんなことにこだわることはなかったが、自分の手で暗雲が払えるならば、そうしてみせようと思っていた。
 

盟友シロピを襲ったアクシデント

 しかし、このレースにかけるボディのモティベーションを高めた最大の理由は、チームメイトであり、大の親友であるエリック・シロピの存在だった。シロピは開幕戦こそ滑走中にスキー板が折れるというアクシデントで途中棄権しているが、調子自体は例年になく良かった。ふたりは、金と銅メダルを獲得した昨シーズンのサンモリッツ世界選手権の再現、あるいはそれ以上の1、2位独占を目標としていた。レース前の数日間、ふたりの会話のほとんどは、このGSコースをいかに攻略するかについてだった。ボディは、もしシロピが優勝するならば自分は2位でもかまわないと思っていたし、実際のところ、シロピの調子からすれば、それは充分にあり得ることだった。いずれにしても、ふたりによるワンツー・フィニッシュが実現すれば、それこそアメリカのアルペンスキー界にとって最高のプロモーションとなるはずだった。

 1本目、ボディの滑りはほぼパーフェクトだった。ベスト・タイムは100分の11秒差でハンス・クナウスに奪われたが、ゴール前で突風にあおられなければ、おそらく勝っていたはずだと思った彼は、自分のパフォーマンスへの自信を失うことはなかった。

 そんな矢先、シロピを不運なアクシデントが襲った。ゼッケン11番でスタートしたシロピは、最初の急斜面を過ぎ、短い緩斜面にさしかかった右ターンで、弾かれるように転倒。彼の身体は大きく飛ばされ、ほとんど真横になって約2mの高さからアイスバーンに叩きつけられたのだ。雪の上にうずくまった彼は、自力では立ち上がることもできず、レスキューによって搬送された。後の診断によれば、左膝の前十字靭帯の断裂。今季中の復帰は事実上、不可能となった。

 2本目の開始前、シロピは痛みをこらえながらボディの激励にいった。シロピは内心の失望を悟られないようにしたが、ボディにはそんな彼の姿が痛々しくてたまらなかった。
「われわれスポーツ選手にとって、もっとも大事な能力は集中力だ。競技ではいろいろなことが起こり、さまざまな感情が湧いてくる。それをいかに頭の中から消し去って集中力を保てるかが非常に重要なのだ。エリックも僕もそのことは充分に知っている。彼は『つらい状況だが、2本目は僕のためにもがんばってくれ』と言っていた。もちろん彼に言われるまでもなく、そうするつもりだった」。

 2本目のボディのアタックは、さらに過激さを増した。極限まで集中力が研ぎ澄まされた、いわゆるキレた状態で、そのすさまじいばかりのアタックは、鬼気迫るものがあった。結果は、圧倒的なベストタイム。1本目トップのハンス・クナウスを3位に突き落とし、1本目8位から急追してきたアンドレアス・シーフェラーも2位に抑え込んだ。結局2本合計では、2位に0秒86の大差をつける圧勝だった。だが、それでもなおボディは余力を残していたという。
「出そうと思えば、もっとスピードを出すことができた。だが、そうしていたら、たぶんコースアウトしていただろう。だから限界ぎりぎりのところで勝負した。スキーというのは、ターンのひとつひとつで戦略的な決断を問われるスポーツだ。今日、僕は世界最速のスピードを出し、そのなかで戦略的にもっとも正しい決断を連続させることできた、ということだ」 と勝因を分析する。

 シロピとのワンツー・フィニッシュは成らなかったものの、この優勝でボディはUSチームに約20年もの間続いた暗雲を断ち切ることができた。

 極論すれば、アメリカとは、2位ではあまり喜んでもらえない国である。ソルトレイク五輪のGSとコンビで銀メダルを獲得したときに、彼はそのことを強く実感している。オリンピックで2位というのは世界で2番目なのだから胸を張っていいはずなのだが、アメリカでは、ともすると"敗者のなかではもっとも成績の良かった選手"という程度にしか評価されないのだ。しかし、2位に圧倒的な差をつけて勝ったことで、彼は正真正銘の勝者として認知された。アメリカのレースとしては、いつになく盛り上がったこの日のゴールエリアの熱狂ぶりが、そのことを示している。

 これまでは、母国アメリカよりも、むしろヨーロッパのアルプス諸国でのほうが人気の高かったボディ・ミラー。そんな状況が現在のアメリカにおけるアルペンスキーの立場を示しているとも言えるが、その意味で言えば、パークシティで記録した彼の優勝は、アメリカに、何か大きなものをもたらすことになるのかもしれない。

アルペンサイトTOP
www.skichannel.ne.jp
<<BACK    TOP▲